雪童山の会・アルパインクラブ横浜合同

明神岳東稜−奥穂高岳―涸沢岳西尾根

2006年12月30日〜2007年1月2日


奥穂高岳山頂にて

 今回の山行は天候に恵まれ大成功で終わりました。 ACYの人たちとの合同で10月ごろからトレーニング山行を重ねてきたので、 山行が終わったあとはみな非常に嬉しそうでした。 今後もこのような山行ができたらと思っています。

12月30日
釜トンネル → 上高地 → 明神岳東稜ひょうたん池

 天候は朝方は曇り。日が昇るにしたがって晴れてくる。 このあと元旦まで晴れ間が続いて天気に左右されることなく行動ができた。

 中の湯で警察の人に、去年宮川谷で雪崩の事故が遭ったため気をつけるようにと注意を受ける。 中の湯〜上高地〜明神を歩き、養魚場裏から今日の幕営予定地ひょうたん池を目指す。 前日の雪の影響で、今回の最大の難関ともいえる宮川谷の通過が気になる。 下宮川谷に上から落ちてきたデブリあり、この辺りが一番状態がよくなく、 歩いていると雪がゆれるのがわかり緊張した。 上宮川谷に入ると、薄っすらとトレースの跡があり、 東稜を見ると先行パーティーが登っているのが確認できた。 ひょうたん池直下の急坂を登り、なんとか今日の幕営予定地まで行くことができた。


12月31日
ひょうたん池 → 東稜 → 明神岳 → 奥明神沢のコル

 高気圧に覆われて晴れ風もほとんどない状態だったので一番行動がしやすかった。 ここから、予定していたとおりコンテをしながら行動することになる。 先行パーティーのトレースとたどって行くとテントが張ってあった。 このパーティーは時間切れのため、ここから戻るらしい。 そのため、ここから先は我々のパーティーがトレースを付ける事になり、 腰まで潜るラッセルを交代しながらバットレス基部まで到着。 途中で2峰や前穂に人がいるのが確認できた。2峰にいた人は手まで振ってくれていた。 凹角沿いの岩の下のルンゼが悪く、セカンドはステップがあるため、それほど怖くはなかったが、 トップはほとんど取れないランナーと不安定な雪質で非常に緊張した場所だと思う。 凹角沿いの岩には残置フィックスがあり、それを利用しながらなんとか通過し、バットレスを越える。

 ここから、明神岳主峰まで雪壁が続き、雪が深いため苦労しながら明神岳頂上に到着。 奥明神沢のコルを目指し進み、コル手前で懸垂下降し到着。 もし、早く進めば前穂または吊尾根の途中まで行く予定でだったが、 東稜のラッセルで時間を取られてしまい、予定通り奥明神沢のコルで幕営。


1月1日
奥明神沢のコル → 前穂 → 奥穂 → 涸沢岳西尾根上2400m

 昨日の夜から風が吹き始め天候が気になったがこの日まで天気がもってくれた。 コルから、風で消えたトレースの跡をたどりながら前穂を目指して進む。途中初日の出を拝む。 山頂手前ではコルからテントが張ってあるのが見えていたパーティーに会い、 涸沢岳西尾根から来たのこと。これから南西尾根で下りるらしい。 山頂は夏見たときには広い平坦な場所だったが、雪が積もり標識も隠れていた。 ここから、前穂に泊まっていたと思われる別のパーティーがトレースを付けていてくれたので、 一気に奥穂まで距離を稼ぐことができた。 途中に懸垂下降をする所があり、見てきた記録では書いてなかったので、 ルートの取り方によっては懸垂をしない場合があるみたいだ。 心配していた南稜の頭直下の雪壁はトレースと雪が安定していたため、 問題なく通過することができた。

 奥穂高に着くと一気に人が増え、トレースもしっかりしてきた。 奥穂を慎重に下り、小屋に着くとまだ時間があったため、 昨日行けたら西尾根を下ろうという話になっていたため、 そのまま西尾根を下ることになった。 F沢コルまでトレースが無数についたルンゼを下り、一旦休憩。 雪庇ぎりぎりについているトレースに怖い思いをしながら、 蒲田富士のルンゼ慎重に下り、笠ヶ岳や穂高をバックに 写真を撮りながら2400mまで下る。 途中、2400mで張れなかったと思われるテントの跡がたくさんあり、 西尾根から多くの登山者を迎えていたことが分かる。 このまま下りても新穂高には着きそうにもなかったのでここで幕営。 夕方から雲がかかり始めていた。


1月2日
2400m → 新穂高温泉 → 横浜

 標高の高いところは雲がかかっており、昨日ここまで下りてきたのは正解だった。 今日は危険な箇所もなくただひたすら下るだけなので楽だった。 トレースのばっちりついた林道をたどり新穂高に着いて、今回の正月山行が終わった。 非常に充実した四日間だった。
(KT記)


感想(リーダーOK)

 今回の山行は天気に恵まれ無事に山行を、終わらせる事ができメンバーに感謝いたします。 11月3,4,5日の偵察山行を、行うことが出来た事で良い流れを作れたと思っている。 メンバーの中には経験の浅い者も居て、まずはメンバーが共通の思いを持つことが、 大切と考えていた。 この偵察が出来なければ、ルートの変更という考えもあった。 次の週には雪が降り偵察は出来なかった。

 トレーニング山行も、11月3,4,5の偵察から11月11ー12日。18日。25ー26日。 12月、3日。10日。9日ー10日。16日ー17日。24日。と、トレーニングをしてきた、 悪天候の為、計画通りに行かない山行もあったが、 共通の認識を持つ事が出来たのではないかと思っている。 ミーティングの中でも、カラビナひとつから、 なぜ必要かどこで使うのか等、一つ一つの事を考え、話し合って決めていった事で、 ここでも、共通の認識がもてたと思っている。

 山行の2日前から、この冬一番の寒気があり大雪が降った。 このルートの一番危険な、宮川谷のトラバースが不安だった。 山行本番は、一日目、宮川谷のトラバースを、なんとかこなし、ひょうたん池まで行けた事。 二日目、ラッセルのきつい東稜をこなし、奥明神沢のコルに行けた事。 東稜に取り付いてから、天場以外すべての工程、下山の西尾根2400メートル地点まで、 アンザイレンしたことにより、精神的に安定し、ペースが安定した事。 そしてなによりも天候に恵まれた事ではないだろうか。

 今回の山行目的にしていた、登れない理由をさがさず、 理屈なしで山と向き合い、自分と向き合い、 山行の中では前に出れる者が山行の為に、前にでる。 そんな山行が出来たと思っている。四人それぞれが、 考え、経験し多くの事を学んだではないかとおもっている。 今後もっと豊かな山行をする為にも自分と向き合い、 山と向き合い、理屈のない山登りを、して行ってもらいたいと思っている。 新穂高温泉に下る林道で来年の山行が流れていて、いつ偵察に行くかなと考えていた。 私としては、このメンバーと山行が出来た事を、心から幸せだと思っています。 ありがとうございました。


感想(アルパインクラブ横浜KS)

 計画通りに全ての行程を踏破できたことは、素晴らしいことだし幸運でもあったと思う。 よかったことは、こまめにトレーニングとミーティングを行ったこと、 特にミーティングで詳細な点について具体的に検討を加えたこと、 11月に冬の穂高の経験が豊富なリーダー以外の3人が予定のルートを好天の中トレースできたこと、 4人の気力・体力・技術の足並みが最低限のラインでそろったこと、 好天が続いたこと、雪質がさほど悪くならなかったことなど。

 今後につながる点として、トレーニングとミーティングの果たした役割が大きいと思う。 ルートを決めてからは、具体的なイメージ作りを行い、必要なトレーニングを話し合い、 予想される事態一つ一つ、装備一つ一つそれこそカラビナ一枚ずつにイメージを作り、 それをみなで共有した。いつも面倒くさくなるとよく出てくる言葉 「あとは現場判断で」「とりあえず」が少ない山行だったと思う。

 雪の安定については、当初から宮川谷の横断について懸念されていた。 湿雪で下宮川谷でのひざまでのラッセルの状況では厳しいと予測したが、 樹林帯がきれてから谷風が斜面に当たりだし、ラッセルがあまりもぐらなくなった。 前日までの新雪は樹林帯最上部で50センチほどに達していたが、 風で削られた斜面は急速にしまり始めていると思われた。 弱層テストでは新雪層内の20センチほどの深さに少し弱い層があったが、 ひじでやっと動く程度で、しかも明瞭な破断面はみられず、 与える衝撃を最小限にすれば行動可能と判断した。 新雪と旧雪の間に弱い層は発見できなかった。

 ただし宮川谷にはその谷風が宮川のコルをとおって吹き上げクロスローディングとなって 複数箇所に吹き溜まりを作っていることが予想され、特に中間樹林手前では細心の注意を払って (離れて行動、静かに行動、1人が行動するとき3人が本人および斜面を徹底的に監視する)通過した。 横断に2時間以上を要したが、その間周辺で雪崩の兆候のような現象は確認されなかった。 大量の降雪があると各所に吹き溜まりを形成しそうな斜面であり、 人間の衝撃ならもちろん上部の急峻なルンゼがトリガーとなって 自然発生の大規模雪崩も十分起こしそうであるが、 今回は吹き溜まりは局所的だったと思われる。 吹きだまりそうな箇所は中間樹林手前とひょうたん池に上がる最後の斜面。

 個人的には12月に1ヶ月弱の出張で皆とのトレーニングに参加できず、 体力・技術面とも決して満足な状態ではなかったが、 頼りになる残りのメンバーに支えられたという印象が強い。 メンバーと天候に支えられたからこその今回の結果であり、 よかったことはよかったで自信を持ち、 そうでないところは冷静に考え自分の実力を勘違いしないようにしたい。

 いい山にいい仲間とでかけ、 また次どこ登ろうかなんて話せることの面白さと素晴らしさとぜいたくを改めて感じ、 そんな幸せに感謝したい。


感想(アルパインクラブ横浜MA)

 10月、正月山行の話が出始める頃、自分は穂高周辺に行きたいと密かに考えていたが、 正直自分の力量と冬の穂高の難しさがよく分からず悩んでいた。 そんな時今回のOK・KT・KSの3氏が穂高周辺に入る計画があると聞いてこれだ、と思った。

 素晴らしいタイミングで穂高に入れるパーティに出会えたのだ!これで穂高に行ける・・・。 当初自分の中には、このメンバーなら大丈夫・・・何とかなりそう、といった考えがあり、 幾ら冬の穂高は厳しいといってもその実感は正直無かった。

 しかし、11月の偵察でその考えは一気に崩れ去った。 本ちゃんの経験も少ない自分にとって明神偵察は絶好の好天にも関わらず、 あまりに恐ろしく、ハードなもので、結果としてパーティにまったく付いていく事ができなかった。 おまけに幾ら他のメンバーが技術的・経験的に優れていても自らが自分の判断で ホールドやスタンスを選択しなければならないことは当たり前で、 それでミスすることは許されないことだと身をもって痛感。 この山行後正月山行に参加するのを止めようと思った。熊さんに電話しようと思った。 厳冬期にあの場所に居られる自信がないと。他の仲間に迷惑をかけたくなかった。 でも簡単に諦めたくなかったので、もう少し頑張ってみてからあきらめようと思い、 電話するのはやめた。トレーニングを続行することに決めた。

 また、今回は10月の末頃から12月の頭まで、長い間風邪を引き続け、 これまでに経験したことがないくらい辛い時期であったし、不安もそれだけ増幅していった。 自分が最もトレーニングすべき人間であると認識し、 追い込んだ結果体調が中々改善しなかったのだと思う。 しかし、このように自分にとっては決して楽ではない山行を繰り返すうちに、 パーティー結成した時に確認した考え(OKさん前述)――― 「その時に力のある人間が山行の為に前に出る」―――が、 実感と共に自分の腹に落ちて来るようになった。 この考えは、実際にはメンバー間で経験や技術力、体力の差など均等ではない。 しかし全員の力を合わせて出来る事がパーティとして精一杯の実力であり、結果になる。 その為、結果として間違った方向に進むかもしれないが、 それこそがパーティの実力であるということ。 誰かが動けなくなって山行が失敗に終わってもそれがパーティの実力であるということ。 一人一人が自主性を持って動く事で、 それが真剣に山と向き合う事であって、達成感と成長を与えてくれるということ。 これが今回の合宿で自分が得た最も大切なことであったと今思えば断言できる。

 12月に入り、何とか風邪も良くなり、体力にも自信が戻ってきた。 それでも正月前は不安で不安で仕方が無かった。毎日仕事中にPCから天気予報のチェック。 28日に大きい寒波が入ることが分かってから、夜もよく眠れない。 雪崩が気になる。山道具を毎日確認する。小さいこと一つでも不安を消せる要素を探したい。

 変な話、本番を迎えたとき、さあこれからだ!という思い半分。 やれることは精一杯できたという充実感半分であった。 これで敗退したとしても自分に残るものはあるはずだ。
 結果、天候は味方してくれ、山は素晴らしい姿を見せてくれた。 そしてこの山行を通して自分と向き合うことの価値、 仲間とその時間を共有することの素晴らしさを教えてくれた。 自分で考えることをせず、判断を人任せにしたり、 途中で諦めたり手を抜いたりしたら、 いくら山行が成功してもこんな感覚は味わう事はできなっただろう。 全てはどれだけ個人として、チームとして真剣に山と向き合えたかで決まっていたと言える。 それだけのものを作り上げる事ができたメンバーに心から感謝したい。           


トレーニングと偵察山行

・10/21 谷川岳 一ノ倉沢奥壁南稜(敗退) KS・MA・他1
・10/22 金毘羅岩 OK・KS・KT・MA・他1
・10/29 聖人岩 OK・KT・MA
・11/3−5 明神東稜偵察 KS・KT・MA
・11/11・12 甲斐駒ヶ岳(敗退) OK・KT
・11/25・26 爺が岳−鹿島槍 KT・MA
・12/3 旭岳東稜 OK・KT・MA
・12/10 広河原沢右俣〜阿弥陀南稜 OK
・12/16・17 涸沢岳西尾根(F沢のコルまで) OK・KT・MA
・12/24 赤岳主稜 KS・他1


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