プロローグ 朝日連峰は、飯豊連峰と並び、言わずと知れた東北地方を代表する山岳地帯である。 この朝日連峰に初めて入ったのは、もうずいぶんと前になる。 1991年の秋、就職も決まり、学生生活も残りわずかとなったので、なにか記念になるような山行をやっておきたいと思った。 その一つが朝日連峰の単独での縦走であった。 大井沢から入り、天狗相撲取山、寒江山、竜門山、そして大朝日山と縦走し、最後に踏んだピークが祝瓶山であった。 祝瓶山は、主要登山道からは外れ、交通の便も悪いため、訪れる人は少なく、マイナーな山かもしれない。 しかし、そのピラミダルな山容は個人的には好きで、以前からあこがれていた山であった。 長い縦走の最後にこのピークを踏んだ時の感慨は今でも印象に残っている。 月日は流れ、2003年の秋、当時所属していた山岳会で、角楢沢の遡行の話が出た。 沢のことはよく知らなかったが、祝瓶山に直接突き上げる沢と聞いて、即座に行きたいと名乗りを上げた。 かくして角楢沢の遡行が実行された。会の若手メンバーを中心に5人で、初日は晴天の下、みんなでワイワイと楽しく遡行し、下ノ沢出合で幕営した。 しかし、夜半から雨。 台風が近づいているという予報があり、さらなる天候の悪化が予想されたこと、 また体調が良くないメンバーもいたことから、リーダー判断により撤退が決定された。理由は納得できたが、本当に残念な思いだった。 あれから6年。昨年の黄蓮谷と同じメンバーであるFさんとKさんと一緒に、再度角楢沢に挑戦できることになった. 8月8日 天気:くもり時々晴れ 林道終点9:45〜10:20角楢小屋〜12:00下ノ沢出合 横浜から約450km。高速道路を乗り継ぎ、新潟県から山形県の小国へ。 林道の終点となる針生平までは、未舗装の個所もあるが総じていい道である。 角楢沢の出合となる角楢小屋までは登山道を行く。この日の天気は諦めていたが、日差しがあり、思いのほか天気がいい。 荒川の清流を横目に見ながら、のんびりとブナの森の中を歩く。 立派なブナが多く、ブナマニアにはたまらないであろう。 角楢小屋までには3つの吊り橋がある。どれもとてもユニークで面白い。これもこのルートの楽しみの一つだ。 40分ほどで角楢小屋に到着。この小屋も昔ながらの小屋で、とても情緒があり、個人的に好きな小屋である。 ここで身支度し、角楢沢の遡行が始まる。 小屋から薄い踏み跡に入るが、沢に下りるには急な斜面を下ることになる。 ここは、いったん登山道を戻り、途中にある踏み跡から入渓した方がおそらく早くて安全であろう。 沢に入ると、すぐにアブ(地元ではメジロと呼ばれている)の大群の出迎えを受ける。 特にKさんは気に入られたようで、既に何十匹のアブが体にまとわりついている。 まとわりつくだけならまだいいのだが、中には噛むのもいて、噛まれると痛い。 たまらず、水につかって追い払おうとするが、そんなことで怯むアブではない。 歩くにつれ数が増える。たまらず、防虫ネットを被ったり、顔にタオルを巻きつけたりして武装することで、ようやく行動できる状況であった。 アブはうっとうしいことこの上ないが、沢は明るく、小滝や深い釜が連続し、難しいところもなく、楽しい遡行が続く。 歩くたびに魚影があり、岩魚もたくさんいるようだ。 中でもミニゴルジュの突破は、この日のハイライトだ。 ここは水流の中にあるホールド、スタンスをいかにうまく見つけて突破するかがポイントである。 水は冷たくないので、濡れても寒くない。 入渓してから1時間半ほどで下ノ沢出合に到着。 この先、幕場はないようなので、時間は早いがここまでとする。 開けたところではあるが、幕場としては今一つである。 そこで前回の時にも使った、急な斜面を10mほど上がったところにテントを張ることにした。 少し傾斜があるし、木の根や石があったりして、お世辞にもいい幕場とは言えないが、川床から高いので増水の心配がないのが救いだ。 時間があるので、焚火で遊ぼうと思い、薪を集めたはいいが、なかなか火がつかない。 湿っているせいであろうか。Fさんが何度か挑むが一向に火が安定しない。 結局この日は焚火ができないまま終わってしまった。焚火マスターからもう一度匠の技を伝授していただく必要があるようだ。 焚火がないとやることもないので、夕飯を済ませると明るい内であったが寝ることにした。 8月9日 天気:くもり後雨 下ノ沢出合6:00〜12:10登山道〜12:45祝瓶山〜14:45林道終点 翌朝、晴れを期待していたが雲が多い。 どうやら天気は下り坂のようであるが、午前中ぐらいはもつだろうということで予定通り下ノ沢に入る。 出合にある面白い形の滝を越え、しばらくいくと幅の狭いゴルジュにあたる。 朝からつかりたくはないので、ここは、全身の突っ張りで越えるが、Fさんにはぎりぎりの幅なので、ザックを背負った状態では相当筋力を使ったようだ。 その後、10mの滝が行く手をさえぎる。 ここの直登は無理なので、右岸を巻くことにするが、最初の3mほどが垂壁でバランスをとるのがちょっと難しい。 ここは安全のため空身で上がる。 その上はやや傾斜が落ちるが、土の斜面なので滑らないよう慎重に高度を上げる。10mほど上がるとまた傾斜が出てくる。 直登は難しそうである。ここでいったんピッチを切る。 この先は、やや傾斜の緩いところを狙って左上し、一旦小尾根まで上がることにする。 このあたりは樹林が深いので、視界は悪いが、そこからできるだけ高度を上げないように気をつけながらトラバースし、 ある程度進んだところで下降する。 下りたところは、丁度滝を越えたところであった。 しばらく進むと、深いゴルジュとなる。 苔むした緑のトンネルのようなゴルジュで、滝があったら突破が難しいところであるが、滝はなく、30mほどで抜けられる。 この先は、深い釜をちょっとだけ泳いだり、へつったり、滝を直登したり、楽しいところが続く。 再び10mほどの滝が行く手をさえぎる。ここも右岸を高巻くことにする。 草を掴みながら急な斜面を直上する。ある程度傾斜が落ちたところでトラバースする。 このあたりになると、灌木もまばらとなり視界も開けているので、ルートが読みやすい。 続く8mの滝も一緒に巻いて、うまいこと滝上に出ることができた。 関東周辺の沢では、高巻きに踏み跡がついていることが多いが、ここでは踏み跡はないに等しい。 ルートファインディングが必要であるが、それがまた楽しい。 その後も10mに満たない滝が続く。ほとんどが直登できる。 一か所、滝が登れず、その横の急な斜面を登るところがあったが、ここは岩が脆く、少し悪かった。 登るにつれ、少しずつ視界が開け、源頭部の急な斜面も見えてくる。 しかし、この日は天候が悪く、だんだんとガスが出てくる。 やがて、両方からの滝が行く手をふさぐ二股にぶつかる。 ここは右が本流のようだ。出だしが垂壁でその後も傾斜があったが、ロープを出すことなく突破。 Fさんにはちょっと怖かったかもしれない。 ここまでくると水量は減り、源頭部の様相になってくる。 ガスっているため視界は悪い。時折雨がポツポツ。雨が近いようだ。 ここからは、沢床が急なスラブ状となり、滝が連続するようになる。 両側には急な草付きの斜面が広がる。再び二股にぶつかる。 右が簡単そうであるが、登山道に出るには左であろう。一旦左に入る。 しかし、すぐに急な滝が立ちはだかる。直登するとなると、さすがのKさんでもロープがほしいようである。 そこで、滝の右側の脆い壁を直登することにするが、ここも悪い。 岩がはがれないように気をつけてなんとか這い上がり、上からロープで確保しようとしたが、 その上も滝が続き、ガスではっきりしないが傾斜がきつく、難しそうだ。 先が読めないので判断に迷ったが、一旦もどって右側の沢に入って高度を上げることに決める。 といっても、そのまま右の沢に入ってしまっては、登山道から離れていく恐れがある。 そこで、右の沢の横にある小さな沢をひろって高度を上げることにする。 歩きやすかったが、やがてこの沢も急な斜面に消えていく。 やはり左だったか。やむをえず、ここから急な草付きの斜面をトラバースし、左の沢に戻ることにする。 このトラバースは、Fさんにとっては相当怖かったに違いない。 左の沢をずっと上がっていたら、このトラバースはしなくても済んだと思うと、反省せざるをえない。 左の沢に戻ると、これまでに比べると傾斜が落ちてきているので歩きやすい。すでに水の流れはなく、源頭に近いのが分かる。 浮石に気をつけながら、とにかく高度を上げる。さて、登山道はどこであろうか。 そろそろ左手に近づいてきているのではないだろうか。どこで左に行けばいいのか悩んでいると、人の声やら足音が聞こえてくる。 そちらの方を見ると、人の姿があった。あった!登山道。正直なところホッとする。 人の少ない山で、ましてや天気の悪い中、実にいいタイミングであった。最後の最後で神様が救いの手を差し伸べてくれたようだ。 登山者も変なところから人が出てきたので驚いたようだ。 沢を上がってきたと言ったら、メジロがひどかったのではと聞かれたので、下はすごかったと答えておいた。 登山道に出たのは12時過ぎ。6時間ほどの遡行であった。 多少のロスがあったことを考えれば、まずまずのペースであったと思う。 Fさんにとっては精神的にきつかったかもしれないが、いいペースで歩いてくれたと思う。 とりあえず、祝瓶山の分岐まで上がる。10分ほどで到着。 ここで装備を外すことにする。そうこうしている内に雨が降り出した。本降りになったようだ。 沢中で降られず、本当によかった。 あいにくの天気であるが、せっかくなので祝瓶山のピークを踏むことにする。 山頂まで長く感じたが10分ほどで到着。ガスのため視界はない。 晴れていれば、朝日連峰の山が見渡せるところだ。私にとっては18年ぶりの山頂。 視界がなくても再びこの山のピークを踏めて本当に感慨深いものがある。 記念写真だけ撮って早々に下ることにする。ここからは、急な個所はあるものの整備された登山道なので不安はない。 下るにつれ、またアブやらブヨがよってくる。 アブに関して言えば、この時期、このエリアの山に入るのであれば、相当の覚悟がいるようだ。 1時間半ほどで行きに歩いた道に出る。沢でゆっくりしたかったが、アブが多く、雨脚も強まってきたので休まず歩く。 最後のつり橋を渡り、2時45分頃林道終点に到着し、行動を終えた。 感想 角楢沢は、とても短い沢である。 しかし、コンパクトの中にもいろんな要素がつまっているので、充実した内容のある沢であると思う。 深く険しい沢が多い朝日連峰の中では、易しく入門的な沢といえると思う。 しかし、易しいといっても、部分的には悪いところがあるし、高巻きには踏み跡はなく、ルートファインディングも必要となる。 このあたりが実力を試させられるところかもしれない。 いずれにせよ、朝日連峰には無数の沢がある。我々には近寄ることさえできない険悪な沢もあるが、今後も挑戦していきたい。 原始の沢、ブナの森をもとめて。 (記 UK) |