唐沢岳北尾根

2010年12月31日〜2011年1月3日


幕営地の樹林帯の中から唐沢岳を見上げる


 2月31日〜1月3日の日程で常念山脈の最北端に行ってきた。
 今回の計画は北アルプスで人気ルートの表銀座の北端である燕岳から、 さらに北に位置する北アルプスで最も静かであると言われている餓鬼岳。 その縦走コースから少し外れた唐沢岳(2632.4m)を北尾根から登るという計画である。 (唐沢岳からは、餓鬼岳・東沢岳を経由して燕岳まで足をのばして中房へ下る計画を基本とした。) おそらく北アルプスで最も静寂なルートの一つだと思う。過去にもほとんど登られていないようだ。 地形図から岩稜帯があり登攀的要素があるので、どういうルートがとれるのか興味がそそられる。

 さて、11月ぐらいから今回の山行に向けて、丹沢でのボッカトレ、三つ峠でのロープワークとアイゼントレ(各1回)。 甲斐駒での体力トレ。下山路の偵察(2箇所)。阿弥陀岳南稜・北稜でのアルパインルートの実践トレ。 そして12月に北尾根の偵察。などなど準備万端で望んだ。



12月30日に横浜を夜に出発し、相模湖ICより中央道に乗る。90分ぐらいのサイクルで運転を交替する。運転が一巡するころ、豊科ICを降りて少しいったところにある道の駅に着く。ここが今日の仮眠場所となった。

12月31日(曇り)
 天気予報では、年末にかけて天気が崩れるとのことであるが、まだ天気は悪くない。 道の駅を出発し、大町駅へ向かう。駅前のタクシー会社で、タクシーに乗り換え、七倉ダムの手前の高瀬館まで送ってもらう(8:00)。 タクシーの運転手さんから、ありったけの飴をもらう。気持ちがうれしい。

 ここのゲートから高瀬ダムまで2時間の道のりだ。ゲートからの積雪はくるぶしぐらいだろう。 歩きやすいが、トンネルの中はプラブーツのため、ロボット歩きになる。 所々氷結しているので、スリップ注意(特にトンネル内)である。 これは、前に来た時の教訓である。七倉ダム一面に氷結した氷が浮いているのが見える。 ダム湖の西側で緑色の湖面が一部覗いていた。雪景色の中で唯一の彩りだ。 高瀬ダムに10時に到着する。高瀬ダムの放水路の氷は前より発達していた。 ここから唐沢岳幕岩がよく見える。久しぶりのご対面だ。

 高瀬ダムのロックフィルの下部より入山する。唐沢を渡渉して沢沿いに金時の滝まで沢歩きである。 降雪した沢は石が雪に隠れていて歩きづらい。踏み跡はなく、入山者はいないようである。 積雪は時おり腰ぐらいまでになりラッセルする。渡渉も数回ある。沢ポチャ注意である。 これも前に来た時の教訓第二である。沢ポチャは気をつけていたが、足元が雪でかぶって見えず、氷結した氷を踏み抜き沢に足を少しつっこんで、少し浸水(これは、翌日には暖めて乾燥させて復活)した。プラブーツを過信していた。 しばらく歩くと、小滝が現れ、ここでアイゼンを履く(11:30)。

 小滝の横にある階段状の雪壁を登る。先頭のOKさんは腰上まである雪をピッケルで払いのけながら登った。 セカンド、サードはこれに続いて登った。そこからしばらく歩くとアルミのハシゴがついている堰堤にでる(11:48)。 ハシゴを、滝ポチャにならないように注意深く越え(滝ポチャしたら、まず撤退だろう)、40分ほど歩くと、金時の滝にでた(12:27)。 金時の滝の前は大きなデブリになっていた。ガリーが2本、沢に向かって落ちているためだ。 滝は凍結していない。滝横の100mほどのガリーを登っていく。斜度が60〜80度ぐらいある。 腰から胸ぐらいのラッセルである。雪は柔らかく無情にも足を上げた分と同じぐらい雪のなかに足が埋もれて行く。 雪の中を泳いでいるようである。 足元の雪が少しでも重力に対する抵抗になってくれるように、踏み固めては、踏み固めた後に雪を落し入れ、 さらに踏み固め足元を安定させる。こうした地道な作業を繰り返す。 押し返されることはないので、しばらく続けると確実に高度は上がった。 途中から安全のためフィックスロープにユマールでセルフを取りながら登る。

 傾斜の一番強いところにも雪が付いていて12月に登った時より登りやすい。 ガリーを登り終えると、尾根を30mぐらい下って平地に出る。 当初の予定では北尾根の尾根上まで出る予定だったが、積雪が腰ぐらいまであるので時間的に尾根まで出られないと判断し、 ここを今日の幕営地とした(14:30 1400m)。 テン場は少し傾斜があったので、雪面の雪を落として平になるようにした。 今日の夕食は、ハウス本豆腐入りの本格マーボ豆腐である。さっそく豆腐を作りにとりかかる。 やはりチタンのコッヘルを焦がしてしまったが、まずまずのできである。 食後は、寝不足だったのですぐに眠りについた。深夜12時頃、風の音で起こされた。 年を越したのを時計で確認してすぐにまた眠りにつく。


1月1日(曇り)
 天候は、予報に反して悪くはない。さて今日は北尾根まででて、尾根上で幕営の予定である。ラッセルを覚悟する。7時出発。 12月の偵察で尾根上まで上がっているので、尾根の感じは分かっている。積雪は30〜40cmぐらい増えている。 腰ぐらいのラッセルが延々と続く。斜面がきつくなると雪は胸ぐらいになり、足を上げられないのでピッケルで雪を落として進む。 ところどころシャクナゲが密生していてバンド状になっているところがある。網の目のように生えていると、どう進むか躊躇する。 周りを見渡し、巻いていくか中央突破していく。 腕力でシャクナゲを掻き分け、シャクナゲを引っ張って推進力を得て体をシャクナゲの中に押し込んでいく。 この時、透明グラスのゴーグルは必携である。これは教訓その3である。 薮突破のためのゴーグルなので薮ゴーグルと呼んでいる。KIさんはこの薮ゴーグルを車に忘れてきて苦労していた。 ジャケットのフードで顔を保護しているようだった。

 途中に目印にしていた大きな岩塊を右に巻いていく。 横たえた倒木を超えるのは、なかなか大変だったが、縦に倒れた倒木は、倒木にピッケルをつきさして進むとなかなか調子がよかった。 そんなこんなを続けなら高度を上げていく。ラッセルを時折交代して進む。 11時20分に尾根上(1855m)に抜けた。ここでわかんを履き尾根上を進む。斜度はそれほどなく、気持ちのよい尾根歩きになった。 時折太陽が顔を覗かせる。しばらく進むと、右手に唐沢岳を確認できる地点に出た(13:00)。

 これから先は切り落ちていて東側に七倉ダムが望める。このコルを右に20mほど降りたところに、6m四方ぐらい平な場所があった。 この先はテン場を確保できる可能性が地形図から少ないという判断になったので、ここを今日の幕営地(13:30 1895m)とした。 目の前に唐沢岳の急峻な北尾根が確認できる。明日はどんな登攀になるのだろう。 (現時点で予備日はもう消化しているので、ここから唐沢岳を超えて次のテン場まで行くと、 下山予定日までに帰れない可能性が高いので、唐沢岳までのピストンになった。) 今日の夕食は元旦ということで雑煮。網を忘れてきたので、アルミはくをコッヘルにしいて忍耐強く焼いた。 アルミはくを厚くするとうまくやけるようだった。雑煮を食べながら、ささやかな正月を祝った。


1月2日(曇り)
 天気は良好。なるべく身軽にして登攀具を身につけ出発した(6:50)。 少し進むと西側に、こちらが進んでいる尾根と平行して小尾根が見え、その間が窪地になっている。 地図でみると矢印の記号があった。KIさんが、この矢印の記号が窪地を示していることを教えてくれた。 現在位置が正確に分かった。我々が昨日幕営したところは、想定していた場所よりも少し手前だった。

 薮の中の雪面を進む、たいへんなラッセルが続いた。ピッケルで雪を落としながら進むがなかなかはかどらない。 それでも毎日のラッセルで身体が覚えたのか、雪面に乗り込んでいくコツみたいなものが分かってきた。 足を上げた分だけ、足がもぐるようなパワーロスはもうない。3人のペースもいい。交替しながら行進する。 さらに進むと尾根が切り落ちている。藪を掻き分けながら5mほどおりるとリッジが現れた。 リッジの横に雪がついている。リッジの真上は濃い藪になっているのでリッジの脇の雪面を30mぐらいへつるように進む。 雪の下は切り落ちている可能性もあったので慎重に進む。

 リッジが終わって、しばらく進むと尾根が少し開け、テン場にできるほどの広さのところに出た。 開けた尾根はしだいに斜度をまして、岩稜帯になった。藪と岩のミックスだ。 見上げると、あまりにも濃いシャクナゲが密生している。少し左にトラバースしてシャクナゲを巻く。 急な雪壁を木でバランスを取りながら登る。しばらく斜度が70度近い藪の岩稜帯を登っていく。 藪でバランスをとり体を持ち上げていく。 荷物をデポしてきたのでバランスは取りやすいが、アイゼンをつけているので体を振るようなことはできない。

 しばらく登るとテラスに出た。テラスに出るとその上は、またもや濃いシャクナゲ帯だった。 今度は中央突破を試みる。突破して後ろを振り返るとシャクナゲ帯に穴が開いていた。 岩稜帯はやがてゆるやかなリッジになった。リッジ上に刃のように尖った一枚岩があり、サーカスの綱渡りのように超える。 リッジの先を進むとコルになっていてまだ続く急峻な尾根を見上げることができた。周りの木は、東に枝が伸びていた。 おそらく、強い西風が吹くのだろう。時間は12時(2085m)になっていた。 唐沢岳の標高は2632mで、これから600m近く上がることは、これまでのペースを考えると時間的に厳しい。 帰りは懸垂があるのでそれほどゆっくりはしていられない。ここで撤退を決めた。

 岩稜帯をクライムダウンして降り、途中、懸垂が2回あったが、ほとんどノンストップで幕営地についた(14時20分)。 幕営地の樹林帯の中から、唐沢岳を見上げる。うーん、宿題が残ってしまった。 夕食の準備を始める。今日の夕食は、五目ちらしだ。


1月3日(快晴)
 天気は申し分ない。今日下山しなければいけないというのは、心が痛む。 7時下山開始。藪のなかから時折、顔を見せる唐沢岳の西尾根を見ながら、また来ることを誓い下山した。 下山時もシャクナゲがたわんでアイゼンにまとわりつく、上下左右に掻き分け下った。 高瀬ダムのロックフィル下に付くと(9時20分)登攀具を解いた。今日も足跡はなかった。 正月の入山はなかったのだろう。外気温は、0度以下と思うが寒さになれたのか。暖かく感じる。

 七倉ダムの事務所脇で、ここに居ついている猫に餌をやりながら、タクシーを高瀬館まで呼んだ。 タクシーの運転手は、偶然にも送ってもらった人と一緒だった。大町駅周辺のグルメとお風呂情報を聞きタクシーを降りた。 大町駅周辺でお風呂とおいしいカツ丼をいただいた。ちょうど箱根駅伝の復路のゴール地点の中継をしていた。 箱根駅伝が終わったところで、お土産を買って横浜への帰路についた。 (KY2記)


(感想)

 冬山への憧れと共に2010年10月に入会した私は2ヶ月のトレーニング山行を経て 悪天が予報される厳冬期北アルプスに入った。 ラッセルでは「なにくそ!」と意気込んでトップを歩くも、歩幅の短い自分が悔しい。 冬山では自分を丸裸にされる。 白く輝く山々の美しさに感動する一方、キツくて、悔しくてそれどころではないこともある。 山行を振り返ってみると「楽しい!」と 思うより「チクショー!」と思うことの方が多かったように思う。

 しかし、正月山行を終えた今、ただ「楽しい」だけの山行には満足できなくなっている自分がいた。 自分の本性を剥き出しにし、己の非力さに打ちのめされながらも、山と対峙する。 山頂に立つことは目的であり、過程でもある。立てても立てなくても、それまでの間に 自分と、山とどう向き合ったかが山行の価値が左右される。そういった意味で 記録は上述の通り2000m付近で撤退することになったが、 技術面はもちろんのこと、精神面で得たものも非常に大きい山行となった。 (KI)


 今回の正月山行は、冬山であまり登られてないルートを登ることの難しさが身にしみて解る山行になった。 適当な幕営地がないなど、計画そのものも難しかった。そして数々の教訓を残すことができた。 今後、自分が計画するときの糧になると思う。 ずっと森林限界よりも下で動いていたが、薮でバランスを取りながら岩稜登攀は、 岩だけでまったく歯が立たないということがなく、それになりに楽しめた。 また、薮こぎやラッセルは冬山の登攀の一部として当然のように考えるようになり (今までは、薮こぎがなければそれはそれでいいし、トレースはあるにこしたことはないような感じだった。 そして美しい景色を眺めることや登攀意欲を掻きたてられる山を登ることが楽しみで、 どちらかというと人気ルートに気持ちが片寄っていた。)山登りに対する見方や楽しみ方に厚みがましたと思う。 (KY2)


 冬山が初めての二人と行くルートではないかもしれないが、楽しい山はこれからいくらでも出来ると思います。 私としては山の本質は怖さや厳しさの中にあり、その中で過ごすことの出来る事は幸せだと思います。 その時間を二人と過ごせた事は私にとって大切な時間となりました。 正月山行のトレーニング、ミーティングは13回になり、冬山一年目としては良く出来たと思います。 北尾根は人気も無くとても静かで良いルートと感じました。 どんどん山に行き色々な要素のある山を登れるようになって欲しいと思います。いろいろ有難う御座いました。 (OK)



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