雪童 夏合宿 涸沢定着

2005年8月6日(土)夜行発〜8月12日(金)


奥穂頂上にて、雪童の発展をお祈りするの図


日  程:8月6日(土)夜行発 〜 8月12日(金)
メンバー:成田仁司(L)、青木信二(SL)、後藤亨
コース :涸沢定着で、成田、青木は滝谷で登攀、後藤はピークハント。


 成田さんと青木(信)さんが穂高に行くというので参加者を募っていた。 彼らの目的は登 攀で、私(後藤)には無理なルートということであるが、 涸沢定着で別行動でもよい、と いうので参加した。 穂高は初めての私にとっては、涸沢に定着して出来るだけたくさん 歩きまわり、 穂高の様子を知るよいチャンスである。 さらに、成田さんが、せっかく穂 高に行くのだから、 と私を前穂北尾根に案内してくれるという。 ビークハントにバリエ ーションが加わりすばらしい山行となった。

 概ね、午前中は日が差し、午後3時ごろから雨(雷少々)というパターンであった。 11日下山の予定であったが、10日は雨のため停滞したので1日遅れての下山になった。 停滞はしたものの、3人ともほぼ予定を消化することができたのは幸いである。
 以下は、後藤の行動記録である。


【8月6日】
 21:00 に横浜そごうの時計台で待ち合わせをして、 21:30 発の「さわやか信州号」に乗り込んだ。バスは、新宿と沢渡で乗り換え。


【8月7日】
出発前、上高地にて  なんと、定刻の 6:00 ぴったりに上高地に着いた。天気は良い。 横尾までは平坦で辛くないが、明神館、徳沢で休憩した。 横尾大橋を渡りしばらく歩くと左手に屏 風岩の大岩壁が見えてくる。 登攀者は見えなかった。いつか登攀してみたいという思い と、 自分のテリトリーの外に置いておこうという思いが交錯した。 ガイド地図では本谷 橋を過ぎると急登となっているが、そんなに急でもない。 ただし、荷物が重いためかな り堪えた。 涸沢に着いたときには限界だった。 テントを張り、青木さんとおでんセット (おでん+生ビール=1,400 円也)で乾杯した。 15:00 ごろから1時間ほど雷雨となった。
 夕飯を食べて 19:00 就寝。

6:00上高地6:50〜7:35明神館7:50〜8:30徳沢8:40〜9:30横尾10:00〜 10:55本谷橋11:15〜12:50涸沢


【8月8日】
奥穂からのジャンダルム  3:00 起床。成田さんと青木さんは 4:30 に出発して滝谷第4尾根に向った。 後藤はそれを見送り 4:50 に出発。涸沢小屋の前を通りザイテングラードから奥穂高岳 に向かう。奥穂からは馬の背のリッジから岩場を下り、 さらに急な岩場を登り返すとジャンダルムの基部に着く。 この基部から直接登れそうであるが、 初めてということも あり、ペンキに従って左にトラバースして南側のザレ場を登った。 奥穂から見たジャン ダルムは感動的だったが、登ってみるとあまり感動はなかった。 下りにはさっき見た東 側の壁をクライムダウンした。 残置スリングがあった。

 奥穂から涸沢岳へは普通の道であるが、涸沢岳を過ぎると急に険しくなる。 涸沢岳を 出るとすぐに涸沢側に岩場を大きく下る。 この下降点を見逃して、尾根を直進しないよ う注意が必要だ。 下降後は稜線を信州側、飛騨側に巻きながら岩場が続き、 北穂南稜分 岐点に着けば安心である。
 成田・青木隊も無事帰還。夕飯を食べて 19:00 就寝。 (消費行動食:小パン 3個、水 0,7リットル)

テント場4:50〜6:15穂高岳山荘6:20〜6:50奥穂高岳7:10〜7:50ジャンダルム着8:15〜 8:50奥穂高岳9:00〜9:25穂高岳山荘9:40〜9:55涸沢岳10:05〜 11:15北穂南稜分岐11:20〜12:20テント場


【8月9日】
A沢のコルと長谷川ピーク  3:00 起床。成田さんと青木さんは 4:30 に出発して滝谷ドーム中 央稜に向かった。後藤はそれを見送り 4:50 に出発。北穂南稜を行く。 途中、成田・青木隊に追いついて3人で登り、奥穂−北穂分岐で分かれた。 北穂頂上よりこれから向かう大キレット を眺める。 ここから見ると大したことはなさそうだが近づいて見ると怖そうである。 北 穂高小屋からザレ場、岩場を急降下するとA沢のコルに着く。 ここから長谷川ピークを 越えるまでが大キレットの核心部か?  途中にあるリッジの飛騨側が怖い。長谷川ピー クには白ペンキで「Hピーク」と書いてある。 そこを越え、最低コルを過ぎると南岳東 南稜の岩壁が大きい。 どこを登るのか心配になるが、梯子や鎖が要所にあるので難しく ない。 もっとも、ホールドは手足ともしっかりしているので鎖等に安易に頼るべきでは ないだろう。とくに、降りはクライムダウンの技術が非常に有効である。 南岳小屋から 南岳への道は、大キレットの後では心が癒されるようである。 南岳からは来た道を戻り テント場に帰った。 昼ごろにはガスも出てきたがずっと天気は良く、肌が焼けた。

 成田・青木隊も無事帰還。16:00 ごろから雨となり、19:00 ごろまで降り続 いた。夕飯を食べて 19:00 就寝。 (消費行動食:小パン 1個、水 1,5リットル)

テント場4:50〜6:40北穂高岳6:50〜7:45長谷川ピーク〜9:00南岳9:15〜 11:30北穂高岳
〜13:05テント場


【8月10日】
 停滞。夜中 2:00 ごろから雨になり、午前中降り続いた。 この雨では前穂北尾根は無理で、今日は停滞し、明日晴れればアタック、雨なら下山することにした。 青木さんは雨の中下山した。

 午後から雨は止み、時々日も射した。表銀座は晴れているが奥穂は雲に隠れている。 夕飯を食べて 19:00 就寝。


【8月11日】
3・4のコルに向け涸沢雪渓を登る  3:00 起床。快晴ではないが、天気は良さそうである。 予定では5・6のコ ルから北尾根に取り付くことになっていたが、今日中に出来るだけ下山しておきたいと いうことで、時間短縮のため3・4のコルに取り付くことにした。 テント場から雪渓を 歩いてすぐに軽アイゼンを着ける。3・4のコルは一番奥左の雪渓の先である。 徐々に 傾斜がきつくなり、左に進むようになると3・4のコルが見えてきた。 ここから振り返 ると、転んだら止められない急傾斜が目に入った。 雪渓が切れると歩きにくいガレ場と なり、そこを登りきると3・4のコルである。 目の前に、これから登る3峰の岩場が聳 えている。
成田さん、有難うございました  クライミングシューズに履き替えギアを身に着けて、いざ登攀、である。 成 田さんのリードにフォローする。1ピッチ目、凹角のところが最も怖かった。 岩は乾いているのになぜかすべる。 手足の入りそうなクラックには手足を突っ込み、背中(ザック) を壁に押し付けて「全身フリクション」で通過した。 2ピッチで3峰を登る。その後も 気が抜けず写真を撮る余裕はなかったが、 前穂頂上に立ったときにはうれしかった。 今 回の長い山行のフィナーレを飾るにふさわしい経験であった。 成田さん、本当にありが とうございました。

 頂上からは冬道を吊尾根の最低コルまで下り、奥穂、ザイテン経由でテント場へ。 涸沢ヒュッテでラーメンを食べて撤収、下山した。 この日は徳沢にテントを張って止ま った。 18:00 ごろから雨となり、翌日の 8:00 過ぎまで続いた。

テント場4:30〜6:303・4のコル8:40前穂高岳9:10〜11:10穂高岳山荘着11:20〜 12:25テント場13:55〜14:50本谷橋15:40横尾着16:30〜17:20徳沢


【8月12日】
 5:00 起床。昨夜からの雨は夜明けには雷を伴った。雨の中、テ ントを撤収して歩き始めた。明神館の手前で雨が止んだ。 その後、なんとか上高地まで降られずに すんだ。 河童橋の近くで、これから涸沢に向かう岡崎さんと会い感激の握手をした。 上 高地で温泉に入り、さっぱりして「さわやか信州号」に乗り込んだ。 20:00 過ぎに横浜駅に着いた。ほぼ、定刻どおり。

徳沢7:40〜8:25明神館8:45〜9:25上高地


《 感 想 》
 今回、大キレットなどの一般道の岩場を登り降りして感じたことは、 こ の程度の岩場でも、雪童に入会してから行ったフリーの岩トレが大変役に立つ、 という ことである。というのは、クライミング時にはより良いホールドを求めて手足 が壁の上 を「遊走」するが、今回の一般道の岩場でも無意識のうちにそのような手足の 動きになっており、そのために精神的に余裕を持って通過できたと感じたからである。 このよ うな動き(かっこ良くいうと「ムーヴ」?)は以前の私にはなかったことである。 おかげ で鎖にはほとんど頼らずに済んだ。
 今後、登攀を行える技術を身に付けたいと思う一方で、是非、西穂から槍ま でフルボッカで縦走してみたいと思った。
(記録・文責 後藤 亨)


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