−6月20日、「ロープを使った山登り」、20年越しで、やっとその日は来たのでした。−
2月下旬、ふとあるきっかけから、ある講演にでかける機会がありました。 その講演は、優れた登山家に贈る「ピオレドール賞」(「登山界のアカデミー賞」と呼ばれる賞)を、女性として、 また、日本人として初めて受賞した女性登山家の講演でした。 講演は自分たちで撮った登攀中のビデオ撮影もあり臨場感にあふれるもので、 インド北部、カメット(7756メートル)南東壁、標高差約1800メートルの岩と雪氷の壁を、固定ロープを使わず登るものでした。 頂上からみたヒマラヤのスケール感はすごく、写真でこうなら、その場に立ったときの感動は相当なものだろうと興奮しました。 山登りは、大学の体育の授業で参加したのが初体験で、それ以来、トレッキングや縦走を、年に0〜2回続けてきました。 前にアンナプルナのトレッキングをして高い山への憧れを持っていましたが、この登攀記録を見たことで、さらに気持ちが盛り上がりました。 ただ、こういうところに行くにはロープを使って多人数で行く形を取らないと、とても行くことは難しく、 お金を払えば登らせてくれる商業登山は感動も半減だろうと、自分で計画して行くことを考えてはいましたが、ずっとその機会がありませんでした。 そこで、今はインターネットで探すと多くの山岳会の情報を得ることができ、山岳会に意を決っして入会することを検討しました。 雪童山の会の例会に行った後に、お試し山行で丹沢のハイキングと懸垂下降体験をしました。 ハイキングは、今までテントを担いでのトレッキングが多かったので、 軽量のザックを担いでのハイキングは快適で「これもいいなー」と少し心が揺れました。 懸垂下降はモミソ懸垂岩というところで体験しました。体が立ち気味になり振られたりしましたが、 体をロープに預けるようにするとうまく降りることができ、ロープ初体験を経験しました。 後に、ここで説明を受けたことは、専門書を読むときに理解が早まりました。 (体力的な不安は残っていましたが、取り合えずここで入会を決定。) 次にGWに富士山の横の宝永山に登り、なんとか体力的にもいけるのではと自信がつきました。 また、この山行は楽しかったです。 富士山というと黒くて登りにくい山という印象でしたが、この日の富士山は白くてでかい山で、いいなあと思いました。 この時点で今年から始めたスポーツジム通いはやめ(長時間、ランニングマシンでテレビを見ながら走るのは耐えられないという理由で) なるくべ自転車で長距離を走るように変更しました。 さて、ここから奮闘が始まりました。6月末前後に谷川岳に行くという会山行企画があり、 できればこれに自分も参加したく、参加の意向を伝えました。 それから会の皆さんが指導員となり毎週、 教育山行ということで岩場へ出かける日々が続きました。 平日はフルタイムのサラリーマンなので、電車の中でイメージトレーニングをしながらの練習が多かったです。 吊り皮を支点に見立て、となりの客がパートナーで心の中でコールの練習(となりお客さんすみません)。 自宅でハーネスをつけて、椅子を支点にしてセカンドビレイの練習もしました。はたから見たらなんと怪しいことか。 言葉も、内容の理解も不十分だったので、練習から帰って調べることもしました。本も、最初は一冊でしたが、今では数冊に増えました。 一番身に付く方法は、取り合えずやってみて(できなければ、次回までに練習して)覚える形がよかったです。 終盤になると、皆さんに教えてもらった分、なんとか格好をつけないとの思いから、受験勉強並みに頑張りました。 流動分散なんて言葉も、まったく興味がなかったので、たぶん会に入らなければこの言葉を聞く事は一生なかったと思います。 最終確認も含めて、三つ峠という天気がよければ富士山がすばらしくよく見える練習場へ行き、何本かロープを使った練習をしました。 レスキュー訓練も実施され、ほぼ準備万端という状況に近づいて、 その次の週に本チャン(山の人は、練習と区別してスポーツで言えば試合のような意味でこの言葉をよく使うみたい・・・。)に臨みました。 本チャンの会山行は、谷川岳ではなく、八ヶ岳小同心クラックになりました。 当日は、雨も心配されましたが、美濃戸の駐車場から川沿いに歩くこと約3時間30分で小同心クラックの取り付きにつくことができました。 まだ時期が早く高山植物は咲き乱れることはありませんでしたが、ツクモグサが見られるなど高所に上がってきたんだなあと思いました。 登攀はツルベで2ピッチ半登り、パートナーとロープをお互いに持ちながら、 岩稜を確保なしで少し歩き、最後にもう1ピッチを登るというものでした。 初めはフォローで登り、狭いテラスでギアの交換をしてリードで登りました。 次の確保支点でセカンドのビレイに入ったとき、コールは風でかき消され、 いつもの練習場と勝手が違い困った場面もありましたが、セカンドが登ってきてくれてホッとしたことを鮮明に覚えています。 肌に感じる冷たい風、今にも降り出しそうな天気、自分以外に誰もいないテラス。 ロープで繋がったパートナーとのやり取り、いつもと勝手が違う高みでの自然環境など。 これまで、自然の美しさに身をおくことが楽しみだったのが、自然の様々な状況を判断しながら、 これまでの経験を瞬間的に知恵に変えて課題を克服していくことの楽しさ−アルパインクライミングの楽しみの一端を味わうことができました。 そして、最後のピッチを登り終えたところが山頂で、約2ヶ月かけてロープ練習してきた最後の奮闘が終わりました。 登頂後、まだ緊張感が残っていて、強い風が吹いているにもかかわらず、 風上側でドカっと座り充実感につつまれながら周りの登山者をしばらく見ていました。しばらくして皆で握手をしてエピローグとなりました。 学生時代よりトレッキングルートを放浪して、傾斜の強い山は見上げるだけでした。 そして20年の期間を経て、やっと上から山々を眺める機会ができ、アルパインクライミングという楽しみまでついてきて、 より高みへのスタートを切ることができました。 |